25歳ニートが35万円で上京を企むブログ

ニートが上京をしてプログラマーを目指します。

「なるべく」「ならべく」どっちが正しい日本語か

「なるべく〜します」

「ならべく〜します」

正しい日本語はどちらかと問われれば日本人の読者には正答することはたやすいし、もし分からないのであればこのブログを読む前に「ごんぎつね」などを読んだ方がよい。

小学校の頃、家出をよくすることで有名な種本くんが作文を書いていた。

「なるべく頑張るようにします」

そのような一節があったように思える。俺は大笑いした。

「なるべくってなんだよ! なるべくって!」

と。

何故笑ったか。

実は俺は「なるべく」ではなく「ならべく」が正しい言葉だと思っていた。種本くんが誤用したと思った。だから、笑った。バカにした。笑い者にした。種本くんは「うるせえなあ」と流した。流した彼の気持ちはわからない。

しばらくした時、学校の先生が「なるべく〜してください」といったのを聞いた。その時は「え? もしかして、なるべく、が正しい日本語?」と気づいた。種本くんに申し訳ない気持ちになって、謝ろうと思ったが問題が起きた。

「なるべく」「ならべく」どちらが正しいかまた忘れてしまったのだ。感覚的には「なるべく」が正しい日本語だった気がする。しかし、自分の感覚は当てにならないので「正しいと思った方の逆」理論で「ならべく」が正しい日本語に思えた。辞書という言葉知らなかった。我が頭の辞書に辞書という言葉なしだった。

当時の俺は「なるべく」が使えないことに恐怖した。少し吃るようになってしまった。

もしかして、何かのタイミングで「なるべく」を使うタイミングがあって、その時に間違った方の「なるべく」もしくは「ならべく」を使ってしまったらと思うと、胸が苦しくなった。種本くんを笑った手前間違えるわけにはいかなかった。大げさかもしれないが、それが小学生なのだ。

そのうちに教科書で「なるべく」が使われている文章を見つけたことで俺はそれを解消した。正解をしった。分からなくなった時は教科書を読み返して「なるべく」が正答であることを確認した。

俺はなるべくを克服した。

そして、この文章を20数年経って綴っている。

しかし、今この瞬間念のためググってみたら「ならべく」という言い方をすることもあるらしいことがわかり、俺はまた月曜日から吃り始めるかもしれない。

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ケチをつけないと「指導」にならない

会社でも、学校でも、家でも、タイトルのように考えている人間はいる。

注意したり、指摘したりしないと指導者として名折れと考えている人間が一定数いる。かくいう俺もそうだった。

昔家庭教師で英語を教えていた頃。生徒が英文のライティングをしたから添削してくれって真剣な顔できた。どれどれ、と思って読んでみると、文法も、構成も、語彙の選択も指摘すべきところがない綺麗な英文だった。

普通は生徒がそんないい英文を書いてきたのだから喜ぶところだが、俺の内心は違った。

「やべっ、このまま『完璧だよ!』と帰したら、指導にならない。仕事してないことになるのでは。。」

教えることのない教師ほど悲しいことはない。だから、俺は無理やりに欠点を見出し、指導した。生徒は難壁をつけられたと思ったことだろう。事実あれは指導ではなく、ただケチをつけただけだ。

今ならもっと違う指導ができた。

「おっ、綺麗な文章書くじゃん。こんなに完璧に書かれたら自分が言うことがなくなっちゃうよ(笑)。この調子で頑張って! あとはとにかく分量を書くのが上達への近道だからさ。毎日少しずつでもいろんな英文を書いて、調子を維持して!」

みたいなことを言うと思う。

ケチをつけないと指導したことにならないと思っている人間はたくさんいる。ケチというのは悪い言い方か。悪いところを指摘しないと指導にならないと思っている人間がいる。

そういう人間は、学校でも、塾でも、会社でも、家でも、指導される側の悪いところを何がなんでも見つけてやるって感じで指導をする。

欠点を直していくばかりが、指導でも、相手の成長でもないのにだ。

 

そういうことをやってると「なんだこいつケチばっかしつけやがって」と思われ、信用は失墜する。逆に指導している本人は「神は細部に宿る。細かいところまで指摘する俺かっけー」くらいに思っていることもあって笑えるのだが。

じゃあ、ケチをつけない指導で何よ? って話だがまあいろいろあるよ。

長所を自覚させそれをさらに伸ばすように指示する、とかさ。ってか、指摘するところがないなら指摘しないでいいよ。その調子! でいいし、別の課題を与えるとかでもいいよ。

いやまあ、この点に関しては俺は別によき指導者でもなんでもないから、自信をもって「こうすべき!」ってのはないけどさ。

でも周りを見ててケチをつけるタイプの上司がどんどん部下を萎縮させているのを見て、しのびなくなったから。

萎縮させていいことなんかないからさっ。

 

 

see ya

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ブログを書けないなら生きていなくていい

失恋してからブログ再開してぼんやりと考えてるけど、もう生きるべき意味というのはないんじゃないかな。

死にたいとかではないけど。

自分のブログを読み返して思うのは、昔の俺の方が面白かったってことだし、いまから何を書くにしても昔書いたテーマの焼き直しにしかならないんじゃないかってこと。

俺が「語るべき言葉」「綴るべき文章」というのを持って生まれてきたとしたら、それはこのブログに全て放出してしまったのかなあ。

文章が人間の魂を削って生み出されるものだとしたら、もう全部削れてしまったのか。いまは肉体に残る魂の記憶みたいなものでかろうじて動いていたり、キーボードを叩いたりしてるだけなのでは。

人間が一生に書ける文章の量って決まってると思うんだよね。いや、キーボードをかちゃこちょやったり、ボールペンを紙の上に走らせたりしたら、文章ってのは勝手にできるよ。俺が言っているのは「綴るべき文章」のことであって。

まあ、具体論に落とし込むと、人間って無限にエピソードを持っているわけでも、無限に思想を持っているわけでもないじゃん? だからいずれ全部出し切る瞬間が出てくるじゃん、って話。無限に面白い文章書く人がいたら、誰か目の前に連れてきてください。35万円やるから。

あーあ、でもまだ文章書きたいんだよなあ。

ハンバーグでも作っておもしろおかしくブログに乗せるか?

それもいいかもね。語るべき言葉はなくても、作るべき料理はあるかもね。

 

seeya

 

 

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