一度公開した記事を消すのは反則やぞ
一度投稿した記事を消したくなるという経験は誰でもあると思う。
俺は今それを経験している。
昨日、こんな記事を投稿したけど消したい。
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勢いのままに文章を書き始めたのはいいけど手が滑って在らぬ方向へ文章が行って、あらぬ方向のタイトルをつけて投稿してしまった。
しかし気に入らないからといって記事は消さない。
多くのブロガーは記事を消すことはない。それは既にはてなスターやブクマ等がついてると消しにくいとうだけでなく、一度公開した文章を消すのは「反則」だとする信念が多くのブロガーにあるからだと思う。(といいつつ、ちょくちょくツイートなどは消すが・・)
だから、気にいらない記事を公開してしまった時は、その苦痛の証をネット上に公開しつづけるしかない。
こんな時にできることといえば、2chで自分の悪口が書かれたレスを流すように、新しい記事を量産して気に入らない記事を下に流すということだ。
だけど、俺は別の選択肢を取る。
記事を消す? 消さない。
前に書いた記事を消さずに公開したままに、もう一度新しく同じ題材の記事を書き直す。
そして、それをネットに公開する。
新感覚やろ。
はい。
タイトル「勝負がしたい。それだけや」
『
最近よく思っているのが「勝負」をしたいということ。
勝負ってのは勝ち負けのある勝負ね。
自分がいて、対戦相手がいて、「勝った」や「負けた」がある「勝負」のこと。
勝負の勝ち負けやそれに至る過程というものは何事にも変えがたいもので、人生の中に勝負があるかどうかって重要な気がする。
勝つために努力をしたり、作戦練ったりするときの楽しさ。
それを実行に移すときの緊張感。
完璧に演じられた演劇のように自分の作戦通りに全てが進んでいる感覚。
もしくは、予想が外れて思わぬ方向に物事が進んで行くときの焦燥感。
勝ったときの快感。周りからの賞賛。
負けた時に自分の全てが壊れされたような感覚。
これらの全てが欲しい。
もちろん、勝負をしたいと思えばいくらだってできる。
将棋やってもいいしスポーツでもやればいい。でも、俺は勝ちたい。もちろん負けることがあるのは仕方ないし、それも悪くはないが、負け続けるのは面白くない。どうせなら一定以上の水準まで行きたい。
だから、俺が勝てる勝負を見つけたいがそれがない。
今までの人生で俺の頭脳や身体能力が一般人に比べて格段に劣っているのはあらゆる場面で経験してる。だから俺が今から将棋を始めてもスポーツを始めても勝てない。というか将棋なんて一時期やってたけど100連敗くらいしてるからね。運動だっていつも体育の時間に笑いものにされていた記憶しかない。
先述したように、どうせやるならある一定水準以上になりたいし、一目置かれたい。
でも、身体能力も思考力もだめ。どうすればいいの。
その2つの能力以外が絡む勝負ってなに?って思ったら、「運」が絡む勝負。
運げー。運は能力じゃないけど、もうそれ以外ないじゃん。でも、運げーって面白くないし、俺の願望を満たしてくれそうにない。
だから、俺が今漠然と考えているのがひろーい意味での思考力が絡む勝負。将棋のように直接の思考力のぶつかり合いじゃないもの。なにそれ?って言われても困るけど、そういうものを探してる。
』
はい、おしまい。これで満足。
読者は「????」ってなってるかもしれないがそれでいい。
それこそが新感覚。
これこそが迷走。
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