「その資料は適当にざっくりに作っていいよ」の対応が難しい
その資料は適当に作っていいよー、とか、ざっくりでいいよーって指示を受けた時の対応が分からない。本当に適当にやったらダメだしがくる。かと言って作り込むと「いやいや、そんな作らないでいいから」って言われるし、言われなくても思った以上の工数がかかってよからぬ結果になる。
「適当」とか「ざっくり」言っても、指示を出す側の中でやはり判断基準があり、それに応えないといけないのだろう。指示を出した側の合格ラインをうまく読み解けってことなんだろうが。でも、それくらいなら最初からゴールというか基準を明確に示して欲しい。示さずに「適当でいいよ」って言うなら本当に適当で許して欲しい。
だから、ヒアリングをしながら進めるんだけど、人によっては「適当でいいって言ったのに細かいこと聞きやがって」って反応される。「適当でいい」「ざっくりでいい」と指示を出す人は細かい指示を出すのが面倒だから、そう言ったりすることも多い。だから、色々細かく聞かれたくはないってことなのだろうか。
だから、仕事を受けるときは、最低限に必要なポイントだけを聞くようにしてるのだが、正解だろうか。勘所を掴むと言うか。
あと面白いのが、適当でいいって言われた時は、中途半端に凝った資料を作るとダメだしが来る確率が高い。相手も高望みし始めるのだろうか。逆にメモ書きレベルくらいで通ったりする。難しい。
最近は加減が少しわかり始めたが、やはりまだまだか。
純朴さを金にするなら専業主婦しかないのか
優しさは金に変わるのか。
元カノは仕事ができない人だった。
気丈に振舞ってはいたが、口から漏れる仕事の話は苦痛に塗りたくられていた。
仕事でよく怒られているみたいだったし、話す相手もいなくて浮いているようだった。仕事も全然続かないタイプの子で、真面目なんだけど、仕事ができないからどうしても居づらくなってしまうらしい。
運良く彼女でもできる仕事が見つかってもそういう仕事は、ハードだったり給料が安かったりとなかなか継続が難しい仕事みたいだった。
彼女はとても純朴で、優しかった。気遣いができるし、お弁当を作ってくれたり、とてもいい子だった。
俺が甘えると優しく髪を撫でてくれたりもした。
でも、その優しさみたいなものはお金にはならないみたいで。仕事はダメだった。
とても優しい彼女。
でも、職場では多分「仕事ができない」「暗い」などという冷たい評価と視線を浴びてたんだろう。
彼女を見ながらよくこう思ってた。
なんでこんな良い子がそんな冷たい視線に突き刺されないといけないのだろう。
俺の目の前にいる彼女と仕事場にいる彼女がどうしても俺の頭の中で一致しない。
仕事場の人たちよ、この彼女を見てくれ。あなたたちが見ている根暗な女性社員は本当はそうじゃないんだよ。
それで、この彼女に合う仕事はなんだろうって考えて、思いついたのが専業主婦だった。
家庭が仕事場だとすると、その働きを評価するのは俺だ。
彼女を一番評価している俺が彼女を妻として雇うのだ。
とてもそれはいい考えだ。目の前にいる優しい彼女と仕事場にいる彼女が一致するのだ。
ああ、大丈夫ですよ。例えですから。専業主婦は仕事じゃないとかお前は雇い主じゃないとかそういう話は揚げ足とりです。この例えがいやなら、
「俺と彼女で家庭を共同経営をしたい」
と言い換えてもいい。
とても反感を呼びそうなことを書いた気するが、その反感は気のせいです。その反論は全て気のせいです。届く人は届くし、届かない人には言葉を重ねても届かない。とても疲れているので今から風呂入って寝る。朝起きたら炎上してました〜、なんてやめてよね。
俺は、彼女を通して感じた社会の息苦しさを1ミリでも共感して欲しいと思う。
金には変換できないその人の魅力を掬い上げたい。
それだけなんです。
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ブログの文章の行間は読むな。書いてあるままを読め。
前回の続編は置いてけぼりで、愚痴を書く。番外編って感じ。
文章の行間を読むっていうのは大事な技術だし、文章の楽しみ方でもある。小説を読むときも表面の言葉だけを追いかけているだけではつまらない。行間を読む時の解釈は人それぞれあって、その違いがまた面白かったりもする。学校でもそう教えられる。
でも、ブログの文章に対して「行間を読む」ということをやられるのがきついことがある。
ブログといっても、特に実際に起こったエピソードを書くタイプのやつね。
書いてもないことを「つまりあなたは〜なんだよね」とか言われてあまり当たった試しがない。
そんなこと書いてないでしょ!!、としか言いようがない。ゲスパーという言葉があるが、それが当てはまるのか。逆にたまに当てる人がいるけど、すごい才能だと思う。
小説の行間を読むのと、ブログの行間を読むのとで違う気がする。
小説の行間に答えはないが、ブログにはある。小説は読者それぞれの解釈が正解だが、ブログの場合は実際の体験談を綴っているわけだから、正解があるのだ。勝手に脳内補完されて「それぞれの解釈」で読まれても困るわけである。
「いや、正しくないから」
としか言いようがない。
あとで
「いや、実は〜なんでそういうわけじゃないんですよ」
って言っても「後出し」感が否めない。
それを避けるためには無限に文章を付け加えないといけなくなる。誤読がないように、事細かに状況を正確に描写する。行動の文脈、状況、相手の表情、声色、何もかもを正確に表現しないと勝手な解釈が生まれる。でも、当然そんなことは無理なわけで。
まあ、上に書いたことは極論というかちょっとした愚痴。
読者がどう読むかは、筆者のコントロールできる範囲を超えてるしね。(部分的にはできるが)好きに読ませろよ!!!ってのが読者の意見でしょうし、俺も好きに読みたい。
まあさ、ここ最近、俺の文章の揚げ足取りみたいな勝手な解釈をされた挙句、煽られるという経験を幾度かした。
「そんなこと書いてないんだけども、想像力膨らましすぎでしょ」
って愚痴りたくなるやつ。
普通に読んで感想をいただける分には全然嬉しいです。
むしろください。
これは太字って言っておこう。変な煽りは困るぜって話。
お前の文章力の問題でしょって言われるとそうなんだけど、無理ゲーでしょ?
エピソードを綴るような文章を書く際に、その場にいた関係者全員の発言とか状況とかを描くのは。そんな細かに書いたら誰も読まないっつーの。
だから、印象的な出来事だけを抽出するんだけど、それだと「読者の想像の余地」を残してしまう。
えっ、「読者の想像の余地」を残すことがいい文章でもあるんじゃないの?
って言われるかもだけど、それは小説の話だから。俺は実体験を語ってるのよ。
「想像しないで〜〜〜」って感じ。
でも、ここまで書いておいてなんだけど、読者が想像を放棄したら逆に困るだろうなあ。
「直接書いてないけど、そこは察してよ!!!」って。
参ったなあ。文章って難しいね❤️
結局、お前の文章力を磨けって話になるんだけどね。読者の読み方にケチをつけるなと。でも、むずいっしょ〜〜〜。
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