ケチをつけないと「指導」にならない
会社でも、学校でも、家でも、タイトルのように考えている人間はいる。
注意したり、指摘したりしないと指導者として名折れと考えている人間が一定数いる。かくいう俺もそうだった。
昔家庭教師で英語を教えていた頃。生徒が英文のライティングをしたから添削してくれって真剣な顔できた。どれどれ、と思って読んでみると、文法も、構成も、語彙の選択も指摘すべきところがない綺麗な英文だった。
普通は生徒がそんないい英文を書いてきたのだから喜ぶところだが、俺の内心は違った。
「やべっ、このまま『完璧だよ!』と帰したら、指導にならない。仕事してないことになるのでは。。」
教えることのない教師ほど悲しいことはない。だから、俺は無理やりに欠点を見出し、指導した。生徒は難壁をつけられたと思ったことだろう。事実あれは指導ではなく、ただケチをつけただけだ。
今ならもっと違う指導ができた。
「おっ、綺麗な文章書くじゃん。こんなに完璧に書かれたら自分が言うことがなくなっちゃうよ(笑)。この調子で頑張って! あとはとにかく分量を書くのが上達への近道だからさ。毎日少しずつでもいろんな英文を書いて、調子を維持して!」
みたいなことを言うと思う。
ケチをつけないと指導したことにならないと思っている人間はたくさんいる。ケチというのは悪い言い方か。悪いところを指摘しないと指導にならないと思っている人間がいる。
そういう人間は、学校でも、塾でも、会社でも、家でも、指導される側の悪いところを何がなんでも見つけてやるって感じで指導をする。
欠点を直していくばかりが、指導でも、相手の成長でもないのにだ。
そういうことをやってると「なんだこいつケチばっかしつけやがって」と思われ、信用は失墜する。逆に指導している本人は「神は細部に宿る。細かいところまで指摘する俺かっけー」くらいに思っていることもあって笑えるのだが。
じゃあ、ケチをつけない指導で何よ? って話だがまあいろいろあるよ。
長所を自覚させそれをさらに伸ばすように指示する、とかさ。ってか、指摘するところがないなら指摘しないでいいよ。その調子! でいいし、別の課題を与えるとかでもいいよ。
いやまあ、この点に関しては俺は別によき指導者でもなんでもないから、自信をもって「こうすべき!」ってのはないけどさ。
でも周りを見ててケチをつけるタイプの上司がどんどん部下を萎縮させているのを見て、しのびなくなったから。
萎縮させていいことなんかないからさっ。
see ya
人気記事
ブログを書けないなら生きていなくていい
失恋してからブログ再開してぼんやりと考えてるけど、もう生きるべき意味というのはないんじゃないかな。
死にたいとかではないけど。
自分のブログを読み返して思うのは、昔の俺の方が面白かったってことだし、いまから何を書くにしても昔書いたテーマの焼き直しにしかならないんじゃないかってこと。
俺が「語るべき言葉」「綴るべき文章」というのを持って生まれてきたとしたら、それはこのブログに全て放出してしまったのかなあ。
文章が人間の魂を削って生み出されるものだとしたら、もう全部削れてしまったのか。いまは肉体に残る魂の記憶みたいなものでかろうじて動いていたり、キーボードを叩いたりしてるだけなのでは。
人間が一生に書ける文章の量って決まってると思うんだよね。いや、キーボードをかちゃこちょやったり、ボールペンを紙の上に走らせたりしたら、文章ってのは勝手にできるよ。俺が言っているのは「綴るべき文章」のことであって。
まあ、具体論に落とし込むと、人間って無限にエピソードを持っているわけでも、無限に思想を持っているわけでもないじゃん? だからいずれ全部出し切る瞬間が出てくるじゃん、って話。無限に面白い文章書く人がいたら、誰か目の前に連れてきてください。35万円やるから。
あーあ、でもまだ文章書きたいんだよなあ。
ハンバーグでも作っておもしろおかしくブログに乗せるか?
それもいいかもね。語るべき言葉はなくても、作るべき料理はあるかもね。
seeya
人気記事
人生初彼女との別れ〜抗不安薬で大切なチャンスを逃してる人いないかい〜
苦節27年、初彼女ができた。8ヶ月で別れた。先週のことだ。俺の生涯もおしまい。
初めて彼女ができて歓喜した。それと同時に無気力感が湧いていた。
まともな仕事につけた、好きな趣味も見つけた。
そんな俺に足りないのは人生で一度もできていなかった彼女だけだった。生まれておぎゃあと泣いてから、27歳に至るまで渇望していたものは彼女だ。
そんな俺に彼女ができた。
でも、彼女ができた途端、楽しいのだが、もう生きる意味ってないのかなって考えが湧くようになった。人生というゲームでやるべきミッションを全てクリアしたという実感があったからだ。ゲームはエンディングを迎えた。
ずっとずっと欲しかった愛すべき彼女を手に入れたからだ。他にほしいもの? なかった。
あとに残るのはやりこみ要素とかおまけみたいなものだ。子育てとか仕事で日々湧いてくる問題。
ただ、俺はゲームを一度クリアするとおまけ要素などはやらないタイプなのだ。だから、彼女ができて虚しい気持ちになっていた。
そして、別れた。
別に無気力になったからではない。
俺がわがままだったからだ。まあ、ふられた。なぜか俺は無条件に恋愛関係は未来永劫続くとおもっていた。バブル期のおっさん連中みたいなものだ。だから安心していた。
でも、別れた。
何が「人生というゲームはエンディングを迎えた」だよ。。。本当に迎えてしまったのは人生をエンドさせてくれる失恋という自殺要素だ。
彼女ができて人生を達観していたのが恥ずかしい。
俺はショックで、いつも寄り添っていたある相棒に相談した。
彼は本当に頼もしいやつで、こいつがいなければ人生で777回ほど自殺していたのかもいしれない。不安の大部分を取り除いてくれ、悲しみを癒し、緊張する仕事への勇気を与えてくれた。親友と呼べるのは、レキソタンくんだけだ。
今回も手を伸ばした。抗不安薬レキソタンくんは「またかよ笑」と微笑みかけてくれた。
レキソタンくんは俺を包み込み、悲しみを和らげてくれた。いつも倍の量を飲んだ。そうすると、悲しいは悲しいのだが、気持ちがフラットに近くなった。
そのおかげか、大暴れしてやりたい、死んでしまいたい、みたいな衝動は消えたし、涙も一回しか流さなかった。ほんと数粒だけの涙。
本当はもっと泣きたかったのに。
大泣きしてそこらへんを転げ回って、泥だらけになって、ユニクロの服を全部試着して回って「泥っぽい服しかないですね」とかやりたかったのに。
泣くことができれば心は洗われたはずなのだ。
泣こうとおもっても「ひっくひっく」みたいな泣く直前のしゃっくりがぎりぎりでるだけで、頬は乾いたままだった。泣きたい。泣くのはとっても気持ちいいことだって聞いたことがあるんだ。
女性の絶頂は男性の絶頂の10倍気持ちいいらしいが、涙はそれの100倍気持ちいいらしいのだ。
不安を和らげたことで、大事な何かを失った気がした。
いま俺はとても無気力、無力だ。まあ失恋したのだからそれは当たり前なのだが。
しかし、しかし、だ。もし抗不安薬を飲んで、気分をフラットにしていなかったら、もっとでかいことができたのではないのかと思った。
失恋直後の興奮、混乱、勢いを利用して、海外旅行にいきなり行くとか、道行く人をナンパしてまわるとか、会社で元好きだった人をランチに誘うとか。
失恋の過大評価だろうか?
ただ失恋直後のむちゃくちゃな行動が傷を癒してくれる良薬になるんじゃないかとは信じている。
不幸があった時はチャンスなのだ。いつも俺は不幸の直後にでかいことをしてきた気がする。東京にくるとか、初めての彼女を作るとか。
今回、それをレキソタンくんが塗りつぶしてしまったようにしか思えない。全てをフラットにしてしまった。
過保護だよ、レキソタンくん。
子離れしよう?
ps
誰か彼女になってください。レキソタンくんに浮気しなくていいくらい、包んでくれる人。
人気記事