ブログを書けないなら生きていなくていい
失恋してからブログ再開してぼんやりと考えてるけど、もう生きるべき意味というのはないんじゃないかな。
死にたいとかではないけど。
自分のブログを読み返して思うのは、昔の俺の方が面白かったってことだし、いまから何を書くにしても昔書いたテーマの焼き直しにしかならないんじゃないかってこと。
俺が「語るべき言葉」「綴るべき文章」というのを持って生まれてきたとしたら、それはこのブログに全て放出してしまったのかなあ。
文章が人間の魂を削って生み出されるものだとしたら、もう全部削れてしまったのか。いまは肉体に残る魂の記憶みたいなものでかろうじて動いていたり、キーボードを叩いたりしてるだけなのでは。
人間が一生に書ける文章の量って決まってると思うんだよね。いや、キーボードをかちゃこちょやったり、ボールペンを紙の上に走らせたりしたら、文章ってのは勝手にできるよ。俺が言っているのは「綴るべき文章」のことであって。
まあ、具体論に落とし込むと、人間って無限にエピソードを持っているわけでも、無限に思想を持っているわけでもないじゃん? だからいずれ全部出し切る瞬間が出てくるじゃん、って話。無限に面白い文章書く人がいたら、誰か目の前に連れてきてください。35万円やるから。
あーあ、でもまだ文章書きたいんだよなあ。
ハンバーグでも作っておもしろおかしくブログに乗せるか?
それもいいかもね。語るべき言葉はなくても、作るべき料理はあるかもね。
seeya
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